
HOME > 院長の独り言
「医師としてのスタート III」
研修2年目に入った時、I先生が「先生に頼みがある」と神妙な顔で切り出しました。
そして、怪訝そうにする私に、「私は大曲に来て20年余り、泊りがけの旅行をしたことがない。先生がいる間に台湾旅行に行かせてもらえないか」と続けました。当時、病院では親睦と慰安を兼ねて職員旅行が開催されました。日帰りや1、2泊の国内旅行、そして3泊4日の海外旅行の選択肢があったと記憶しています。自信はありませんでしたが、私は「私の留守番で良ければ、楽しんで来て下さい」と答えました。
I先生の配慮で外来診療は大学からの応援医師が担い、病棟は私が守ることになりました。留守中、救急の外科疾患を有する新生児が生まれ大学病院に搬送しましたが、何とか無難に任務を遂行できました。そして、帰国したI先生に留守中の報告をしました。I先生はお土産を差し出し、「先生のおかげで、命の洗濯が出来た」と満面の笑みを浮かべていました。一人で診療科を守ることの大変さは理解していた心算でしたが、その思いはまだ浅かったと痛感しました。ちなみに、私は2泊3日の金沢・能登旅行に行かせてもらいました。羽越線を使った寝台列車の旅、そして、貸し切りバスでの能登半島巡りはかけがえのない思い出となっています。その能登が、今、震災でいたましいことになっていることに心が痛みます。
実直に患者に接し続けるI先生の背中を追うべく、研修を続けました。Ⅰ先生は一小児科医の生き様を通して、診療を全うすることの素晴らしさを無言で教えてくれました。当初は1年の研修期間でしたが、先生の希望で半年間延長し、私は研究のため東北大学の小児科教室に戻りました。
そして、怪訝そうにする私に、「私は大曲に来て20年余り、泊りがけの旅行をしたことがない。先生がいる間に台湾旅行に行かせてもらえないか」と続けました。当時、病院では親睦と慰安を兼ねて職員旅行が開催されました。日帰りや1、2泊の国内旅行、そして3泊4日の海外旅行の選択肢があったと記憶しています。自信はありませんでしたが、私は「私の留守番で良ければ、楽しんで来て下さい」と答えました。
I先生の配慮で外来診療は大学からの応援医師が担い、病棟は私が守ることになりました。留守中、救急の外科疾患を有する新生児が生まれ大学病院に搬送しましたが、何とか無難に任務を遂行できました。そして、帰国したI先生に留守中の報告をしました。I先生はお土産を差し出し、「先生のおかげで、命の洗濯が出来た」と満面の笑みを浮かべていました。一人で診療科を守ることの大変さは理解していた心算でしたが、その思いはまだ浅かったと痛感しました。ちなみに、私は2泊3日の金沢・能登旅行に行かせてもらいました。羽越線を使った寝台列車の旅、そして、貸し切りバスでの能登半島巡りはかけがえのない思い出となっています。その能登が、今、震災でいたましいことになっていることに心が痛みます。
実直に患者に接し続けるI先生の背中を追うべく、研修を続けました。Ⅰ先生は一小児科医の生き様を通して、診療を全うすることの素晴らしさを無言で教えてくれました。当初は1年の研修期間でしたが、先生の希望で半年間延長し、私は研究のため東北大学の小児科教室に戻りました。






